L'ÊTRE ET NÉANT - ESSAI D'ONTOLOGIE PHÉNOMÉNOLOGIQUE -
「ミクロコスモス」というのが今日の写真を見たときに浮かんだタイトルだった。
ウィトゲンシュタインが「論理哲学論考」の中で使っていたのを憶えている。
「私とは私の世界である(ミクロコスモス)」
この言葉はよく議論にのぼるものではあるけれど、ここでは関係なく単なる個人的な記憶として記す。
「我々が考えることができないものを我々は考えることはできない。それゆえまた我々は、我々が考えることができないことを語ることはできない」
この言葉もまた示唆に富んでいる。
「わたしが見ることのできないものをわたしは撮ることはできない。それゆえまたわたしは、わたしが撮ることができないものを見ることはできない」
などとちょっといじってみたり。(この際論理的整合性は無視する。)
いずれにしてもわたしはこのような写真を撮ることが好きです。
もちろんこのような光線になるのを待って三脚を据えて撮ることも出来るけれど、結果はまったく異なったものになることを知っている。
本質は光の問題ではなくわたしの知覚の問題だからだ。少なくとも、わたしには「このように見える」のだ。他のひとにどのように見えようがそれはそれで良いのだけれど。
宵闇迫る薄明の中で注意深く撮った1枚です。現像は基本的に露出のみ調整しています。
蓼科はどこに行くにもちょうど良い距離にあるいま流行の「ハブ空港」のような存在だと思います。蓼科で心身を休め、ここを起点にして様々な観光地や山歩きやその他の活動に出かける、その基地として最適の立地なのです。
皆様のお越しをお待ちしております。
ペンション・サンセット オーナー 拝
今日の写真:「tateshina 170706」
170706-DSC04880-AdoxCMS
Sony α7, Voigtlander NOKTON classic 40mm F1.4 MC VM + Voigtlander VM-E Close Focus Adapter